これといって何もない休日、車で1時間ほどの千葉県松戸市へ。
喫茶店チェーン「珈琲館」がやっている「珈楽庵」というお店に入る。むかしの蔵を思わせる外観だ。窓からは枯山水のような庭も見える。
ここ以外にも何軒かあるので、たぶん本物の蔵ではなくてそれっぽい作りの構えなんだろうけど雰囲気は悪くない。まあメニューは普通の珈琲館とほとんど同じだけどw
そこから車で10分ほど走り「21世紀の森と広場」という広い公園へ行く。
公園に隣接した松戸市立博物館で「あの日のまつど」という企画展をやっていたのでのぞいてみる。
千葉県誕生150周年、松戸市の市政施行80周年を記念したイベントらしい。
入場無料、しかもかなりしっかり作られたパンフレットまでくれた(写真)。周年事業ということでかなり力はいってるみたいだ。
展示のほうは明治大正から昭和にいたるまでの松戸周辺の風景や人々の暮らしをとらえた写真が並ぶ。
一枚一枚眺めてまわりながら、いやー、たしかに自分の子ども時代、こんな感じだったわと思い出す。
さすがに明治大正のころは違うけど、昭和の高度経済成長の時期の風景はかすかに記憶のなかにある。
自分は松戸の生まれでも住んだこともないけれど、子どものころ過ごしていた東京都足立区とどこか似通っている。もうこんな風景はどこにもないけれど。
買い物客でにぎわう駅前の商店街は、いまはシャッターをおろした店舗が目立ち、同じようなつくりのコンビニが並ぶだけだ。なんか無機質で効率優先、面白みがない。
そう思うと、やはり昭和のあの時代が自分という人間を形づくり、自分の人生の中心となっているのは否定できないかなあと思ってしまう。自分はけして昔のほうがよかったと考えてる人間ではないけれど。
ついこないだ、話題になっている映画「福田村事件」を観た。
関東大震災直後に旅の行商人たちが朝鮮人と間違われ虐殺された事実を描いた作品だ。
この事件の舞台となった千葉県福田村は現在僕が住んでる地元からほんの目と鼻の先の場所だ。
さすがに映画に出てくる風景はまったく懐かしくもなんともないけれど、あの時代が抱えていたさまざまな問題が事件の背後から見えてくるのが非常に興味深い。
明治大正の時代って今まで自分とは何の関係もないと思ってたけど、この映画をきっかけに少し興味がわいてきた。今の自分たちの日常にも通じるものを感じる。
むかしの松戸の景色とか震災の頃の話とかに親近感を感じるのは、もう自分もそっち側の人間、現在よりも過去に属する存在だからかもなー。
いまの世の中がどこかよそよそしく、軽い嫌悪感すら覚えるのは、もういまを生きる人間じゃないからかもね。