日常ゴーゴー!

取るに足らない日常の記録にただただ徹するブログ。

ゴジラかジムか。

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映画「ゴジラ−1.0」が大ヒットしている。

ネットのレビューを見ても圧倒的に高評価だ。否定的な意見はまず見当たらない。「絶対観るべき」などとベタ褒めするコメントもある。

これは何としてでも観なければ。

近所のモールのシネコンはめったに自分の観たい作品はかからない。上映されたとしても1週間ほどで打ち切られてしまうのがいつものことだ。

しかしさすがにゴジラキラーコンテンツだ。1日の上映回数がとんでもなく多い。他の作品はせいぜい1日2回か3回なのにほぼ一日中繰り返し上映してる。これなら好きな時間帯に観れそうだ。

この前の日曜は奇跡的に仕事が早く終わった。

帰りにシネコンゴジラ観ようかと思いたつ。今から行けば夜8時過ぎからの回に十分間に合うだろう。

しかし2時間超えの大作だ。終わると帰宅は23時近くなる。

明日も仕事で朝5時には出なければならない。それを考えると観る気が鈍った。

あるいは映画を取りやめにして、いつも仕事帰りに寄るジムへ行くという選択肢もある。

日曜はジムの閉館が早く、いつもギリギリで駆け込んで、トレーニングは出来ずに風呂とサウナだけというパターンが多いが今日は早く上がれたのでたっぷりプールで泳げるだろう。

というわけで映画はキャンセルしてマンネリ気味だがジムへ行くことにした。

まあゴジラは大ヒット作だし、まだしばらくのあいだは上映しているだろう。気持ちに余裕があるときにじっくりと鑑賞したい。

とかなんとか言って見送ってるうちに結局タイミングを逃しちゃうんだよなー。

まずは気持ちにゆとりを取り戻さなけりゃ……。

 

 

 

つげ義春の街。

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このところ、ちくま文庫から出ている「つげ義春コレクション」という全9巻の作品集を順に読んでいる。

いまは8巻目の「腹話術師/ねずみ」を読み始めたところ。残すところ1冊となり、ちょっと寂しい。

ところで今日夕方、仕事で千葉県N市のE台という街を訪れた。

実名を伏せているのは、その土地についてちょっと失礼なことを書きそうな予感があるからで、炎上防止対策だ。

E台は自分が住んでる地元と同じ路線にあり、車でもよく通過するが、こうして駅前に降り立ったのはたぶん初めてだ。

そういえばこの街には一時期つげ義春氏も住んでいたらしい(実名伏せてもバレるなこれじゃ)。

つげ氏はこの場所に移り住んだ理由を「古びた雰囲気が残っていて落ち着くから」みたいにエッセイに書いている。正確な表現は忘れたが、お気に入りの街だったようだ。

そういう目で見るせいか夕刻という時間帯のせいか、駅前も落ち着いた静かな空気。広場の中央に立ち木が一本あったりするのも昭和っぽい。

つげ氏の作品に出てくる山奥のひなびた温泉宿や古い商店街などをほうふつとさせる雰囲気だ。

仕事先へ向かうバスに乗る。通りは街灯の光も乏しく真っ暗だが、不思議になつかしく落ち着いた気分になる。

東武沿線なのになぜか小田急の名がついた住宅地がある。小田急、かつてこの地に進出しようと計画したのだろうか。採算が取れそうにないので撤退したとか。

そんなE台は、郊外の小さな町という点で僕の地元とも共通しているが、なにか決定的に違うものを感じる。

いったいどこにその差があるのか、つらつら考えた結果、

この街の佇まいは「さびれた」という言葉がふさわしいが、僕の地元は「殺風景」と表現するほうが近いのではと思いあたった。

「さびれた」という言葉には侘び寂びが感じられ、肯定的なニュアンスもあるが「殺風景」は、正直あまりほめられたものではない。

つげ作品のブランド効果もあってか、なんとなく自分の地元よりいいところに思えるE台。

駅の反対側は昭和の香りが残る商店街でけっこうにぎやかだ。

時間があったらゆっくり街歩きしてみたいですねー。

 

 

イヤーワーム。

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イヤーワームという言葉を最近聞くようになった。

耳のなかに虫がいて羽音でうるさい状態、転じて脳内にさまざまな雑念がわいて集中できない症状を言うらしい。

あまりに雑念が多くて目の前のことに集中できず、仕事などで失敗をやらかしがちという困った状態だ。

また、頭のなかで常に音楽が鳴り続けているという人たちもいる。これなどもイヤーワームのひとつだろう。

発達障害の持ち主にこの症状は多いらしい。発達障害者がなぜ凡ミスが多いのかの原因のひとつと考えられているようだ。

自分もADHDの診断を受けており、イヤーワーム持ちだ。脳内で音楽が流れていることも多い。自分はそれが当たり前だと思っていたがほかの人はそうでもないらしい。

イヤーワームも子どものころからあって、自分的には特別なことではなかった。これには原因と思えることがあって話は保育園時代までさかのぼる。

当時僕の通っていた保育園には昼食のあとに「お昼寝の時間」というのがあった。

園内の大きな一室にみなで布団を敷き、パジャマに着替えて寝るのだが、まだ昼どきだ。子どもたちはみんな元気いっぱいだし、そう簡単に眠りにつけるわけがない。

はじめは他の子たちも布団の上で飛び跳ねたりして騒いで先生から叱られたりしていたが、やがてひとりふたりと寝静まり、最後は起きている子は誰もいなくなってしまう。

僕は最後まで眠れなかった。特別寝つきの悪い子どもだったのかもしれない。

ほかの子たちはみな寝入ってしまい、大きな部屋に響きわたる寝息の大合唱に耳を傾けながら、ほかにすることもなく退屈まぎれに頭のなかでさまざまな空想をめぐらせていた。

脳内で自分自身と、あるいは誰かとおしゃべりしている状態といえばいいだろうか。実際に声が聞こえることはないけれど。

ひたすら耐えるしかない昼寝の時間。話し相手もなく、自分のなかにしだいにイマジナリー・フレンドができあがっていたのかもしれない。

自分だけ寝られなかったのは、もしかしたら睡眠障害もあったのかもしれない。とにかくその保育園時代に自分のなかでイマジナリー・フレンドと築いた「想像の世界」が出来上がってしまい、現実世界を生きながら常に心は空想のなかを遊んでいる感じがあった。

保育園を卒園し、その後小中高と学校生活を送ったが、通常の暮らしの中でも自分だけカン違いや凡ミスが多く、同級生からは軽くバカにされる存在だった。それがますます自分を現実から空想の世界に逃避させる結果になったのかもしれない。

いまではイヤーワームを解消させる薬もできて、それを飲むと頭がスッキリし、日常生活が楽になったという声も聞く。

しかし自分の場合イヤーワームがなくなると、同時に子どもの頃から慣れ親しんでいる空想の世界も一緒に失うことになる。これは考えものだ。

うるさいといえばうるさいけど、このイヤーワームと死ぬまでつきあうことになるんだろう。

※フリー画像は「イラストAC」より。

 

 

翳りゆく部屋。

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前の日は休みだったが夕方ごろ会社から「明日も仕事ないから休んでいいよ」と連絡があり、本日も急きょ休日に。

いきなり休みになってもどこかへ出かける予定も決まらず

午前中は起きていたが格別することもなく、天気も雨模様で肌寒く外出する気にもならず、午後はテレビを横目にトロトロ寝入ってしまった。

起きてみたら夕方5時。窓の外はもう真っ暗だ。

11月にもなると日の入りも早い。1日の終わりがあっけない。

1日外に出ないで目が覚めたら夕方、というのは最近めったになかったが、20代半ばはずっとそんな生活を送っていて、久しぶりに当時の感じを思い出した。

その頃はいわゆるニート暮らしだった。仕事もなければ当然収入もないのでどこかへ出かける気にもならず、日がな一日寝て暮らしていた。

精神科にも通っていて睡眠導入剤を服用していたのでクスリが効き過ぎだったのだろうか。

ほかに楽しみもなく唯一の娯楽といえばラジオを聴くことぐらい(インターネットもまだなかった)。深夜放送が面白くてつい夜中過ぎまで聴き入ってしまい、翌日は起きられず夕方まで惰眠する悪循環。

ま、こんな日々もいつまでも続きはしないだろうと思いつつ、なすすべもなく毎日ダラダラと過ごしていた。自分の人生でもドン底の時期だった、といまでは思う。

あの頃の暮らしぶりがウソのように現在は立派に「社会復帰」してしまった(非正規だけど)。

ま、仕事の疲れをとるために、たまにはダラダラ寝て過ごすのもいい。そんなふうに現状を肯定できるのもあのニートの日々が遠いものになりかけているからだろう。

スマホを見ると明日の仕事のスケジュールが入っていた。

ほんとうは明日は休みの予定だったのに今日と入れ替わりになった格好だ。

こんなことなら今日ダラダラ寝てないで遊びに出かけりゃよかったな。

 

 

 

 

 

エンタメの洪水に溺れて。

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TSUTAYAで「コミック5冊無料レンタル」というクーポンをもらい、コミックの分野はそれほど詳しくないので何を借りようか迷いつつ、

「ブルージャイアント・エクスプローラー」を5巻まで借りる。

映画化もされたヒット作の続編だ。仙台から上京、一流サックスプレイヤーとしてのし上がっていく主人公が、この「エクスプローラー」篇ではついに憧れの地アメリカにわたり、西海岸から出発してさまざまな土地を行脚していく。

このシリーズでは一番最初の1巻を読み、そのあと映画版を観た。やはり音楽がついてるので映画のほうはよかった。サントラをユーチューブでヘビロテして聴いている。

ただストーリーのほうは、トントン拍子にうまく運びすぎで、主人公自身もとくに挫折することも苦悩する部分もなく、やや興ざめな感じはあった。こんなにうまくいくかよっって。

まあそれは、人生あまりうまくいってない自分のひがみもあるのかもしれませんw

さて、TSUTAYAから借りた5冊を7泊8日のうちに読破しなければならず、現在必死に読み進んでいる途中です。

また、契約しているスカパーから最近「16日間多チャンネル視聴プレゼント」なる告知が届いて、これにも申し込む。

映画を中心に気になる番組を録画しまくっている。見たら消去するようにはしてるけど、ハード・ディスクは常に満杯だ。さらに見られるチャンネルが増えたらいったいどんなことになるか自分でもこわい。

ほかにも近所の図書館から本と一緒にDVDも借りてきてて、これも1週間以内に見て返さなきゃならないし。

ツタヤとちがってこっちは返却遅れても延滞料とられないので、けっこう期限オーバーしてます。反省。

本も読んではいますがネットを始めてから読書量はずいぶん減りました。まあ読書は読んだ冊数が全てじゃないとは思いますけどね。

それよりも最近では、こんなに本ばかり読んでても何の意味があるのだろうみたいな疑念が強くなり始めて。

何か借りようと図書館の棚の前に行っても茫然としてる自分がいます。

うーん、読みたい本は多い。しかしこれだけの本を集中して読める時間はあるのか‥‥。

もちろん自宅にも本をはじめ CDやDVDが山積み。

一度読んで面白かった本は当然手元に保存、DVDだってまた観ようと思うから揃えてるけど、録画の消化に追われてちっとも観れない状況。

活字、映像、音楽含めてこんなに大量の作品を次から次へ吸収することにいったい何の意味があるんでしょうかね。

いや、吸収できてるならまだいい。けして自分の血肉にはならず、その場で忘れてしまうような作品も多い。その方が圧倒的に多い。

結局この状態は、自分にとって「本当に必要な作品」を闇雲に、脈絡もなく探しまわってる状態なんだろうなあ。

「本当に必要な作品」はそれほど多くなくてもいいし、必要な作品を探してジャンルの幅をいたずらに広げる必要もない。

職場に映画好きな人がいて、その人が観るのはひたすらビルや車が爆破されたり撃ち合いが続くいわゆる娯楽アクション映画ばかりなのだが、

仕事の合間に雑談しながら、いかにその作品が面白いかを熱を込めて力説する。

正直その人がうらやましくて仕方ない。

自分にも好きな作品はたくさんあるけれど、その良さをこんなふうに熱心に語ることはできないだろう。 

まあ、名作も駄作も区別なく観まくるのが真のシネフィルだとも言われますが、

タランティーノならまだしも、俺は映画関係者でもそれでメシを食ってる人間でもないからなあ。

これからは本当に自分にとって必要な作品を限定していかなければなあと思いつつ、じゃあいったい何が必要なのって自分に聞いてもいまいち判然としない。

そんな問いかけがこの先しばらく続きそうだ。

 

※noteの記事転載です。

濱口竜介監督そのほか。

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浦和の埼玉会館で行われた映画監督濱口竜介氏と劇作家岩松了氏のトークイベントへ足を運ぶ。

浦和は久しぶりだ。駅前に降り立つと昔からあった建物が取り壊され、なにか大きな工事の真っ最中だ。

あまりこっちの方には足を伸ばさないけど、こうして風景がどんどん変わっていき、慣れ親しんできた景色が失われていくのは寂しい気もした。

会場は定員80名ということだったがほぼ満席。カンヌ映画祭アカデミー賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の人気をうかがわせた。

でも司会者が会場に向かい「濱口監督の映画を観たことがある方は」と尋ねたら、手を挙げたのは半分ぐらいだったかな。あとは岩松了氏のファンの方だったのか。

トークの内容は濱口氏と岩松氏の対談という形だったので、岩松氏が演出したチェーホフ作品についての話がわりと多く、濱口氏の作品については思ったほど触れられなかった。まあ「ドライブ〜」でもチェーホフの芝居が劇中劇で出てくるけど。

監督が「演劇についてはほとんど知らない」と語っていたのが意外だった。「親密さ。」も演劇の世界の話だし、時間をかけて人間をじっくり描く濱口作品は演劇的だなーと思っていたけれど。

残念ながらチェーホフの芝居について当方はそれほど詳しくなく、個人的には濱口氏の映画についてもう少し聞きたかった気もした。公開間近の新作「悪は存在しない」についてもあまり触れられなかったし。

帰りは大宮に出てディスクユニオンに入る。

ざっと棚を見てまわるが、もう自分の欲しい作品はほとんど手元に揃ってしまっている。

最近は、これまであまり手を出さなかった昭和歌謡ジャンルをあさり始めている。

若い人たちのあいだでもけっこう昭和歌謡が話題になってるし。あらためて振り返ってみるといい曲も多い。

今日は宇崎竜童氏のアルバムが手ごろな値段で出ていたので入手。

ダウンタウン・ブギウギ・バンド時代は「港のヨーコ」で一世を風靡し、妻の阿木燿子氏と組んで「横須賀ストーリー」はじめ山口百恵の黄金時代を築き上げた人だ。もう少し評価されてもいい気がするんだけど、筒美京平などにくらべるとまだ光が当たってないような‥‥

いずれにせよ昭和歌謡の世界は、自分にとってもまだまだ掘り出し甲斐のあるお宝の山のようだ。

帰宅、ひと眠りして深夜、スカパーの歌謡ポップスチャンネルから録画した「歌のトップテン」を見る。

ザ・ベストテン」と並ぶ昭和の歌番組だ。歌謡ポップスチャンネルはけっこう、こういった昔の番組を放送してて、当時は何気なく見ていたがいま見返してみるとまた新たな発見がある。

今回見た録画は86年にオンエアされたもので中山美穂小泉今日子菊池桃子らが現役のアイドルで出演、笑顔を振りまきキャピキャピしまくっている(死語)。

司会は徳さん、アシスタントは石野真子。彼女は70年代デビューなのでこの番組では脇にまわり、後進のアイドルたちを盛り立てている。この頃はもう長渕とは離婚してたかな。

80年代後半といえばおニャンコのような素人集団アイドルが主流となり、花の83年組と呼ばれていた人たちも人気に翳りを帯びてきた時期だ。小泉今日子は「なんてったってアイドル」でピークを越えた直後、まだアーティスト指向になる前だし「新曲は1年以上出してない」という三田寛子はバラエティや司会業のほうにシフトしている。

古い番組からはそんな時代背景が見えてくる。

いやー、おじさんは昔話になると止まらないねえ‥‥。

なにげない休日。

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連休明けのウィークデー。

世間のみなさんが三連休をエンジョイしていたあいだ、真面目に仕事してたので

入れ替わりに今日はこっちが休日だ。1日だけだけど。

朝食時のBGMに大野雄二トリオが演奏する「ルパン3世のテーマ」ジャズバージョンをかけ、優雅な休日のムードにひたる。納豆ご飯と味噌汁の朝食だけど。

それから急に話がお下品になるが、大きい方を出しにトイレへ。

自分は強烈な便秘体質なので下剤を飲んでいる。仕事中とつぜん催しても困るので休みの日を排便にあてている。

しかも先日健康診断を受け、大腸がん検査のために検体(つまり×××)を提出するよう言われている。

前述のような事情でなかなか用意できずにいたが、ゆうべ下剤を飲んでやっとブツが揃ったので午前中病院行って提出。お昼は外で食べ、リサイクルショップをのぞいて帰ってきた。

10月も中旬だ。朝晩は少し寒いほどになってきた。

この季節になると暖房器具がない自分の部屋にはほとんど出入りしなくなる。次の春先まで開かずの部屋状態となってしまう。

なので、きたるべき寒い季節にそなえ、一念発起してコタツを組み立て、自室に置くことにした。

夏場に大規模な部屋の整理と模様替えを行ない、かなりすっきりしたというのに、コタツを置いたぶんフリースペースが減ってまた狭苦しい感じになってしまった。

もとの汚部屋に戻ってしまわないよう気をつけたい。

苦労してコタツを出したらもう4時前。最近は日暮れも早く、窓の外は夕方の雰囲気が忍び寄ってきた。

せっかくの休日もとくにこれということもないまま終わってしまいそうだ。

自分はけっこう地元で行われるライブやイベントをマメにチェックして足を運んでいるのだが、そういう催しものって圧倒的に土日に集中している。

ほとんどの人が週末休みなので自然とそうなってしまうのだろうが、土日も平日も関係なしに働く人間のことも少しは考えてほしいような。

まあ、特別なことがなくても、こんなふうに静かに過ごす1日もいいかもしれない。

ぼちぼちスマホに明日の仕事のスケジュールがラインで届く時間帯だ。

ゆったりした気分もこいつが届くと帳消しだ。一気に憂うつになる。サザエさん症候群というやつだろうか。

明日の朝の集合時間も早いんだろーなー。