このところ、ちくま文庫から出ている「つげ義春コレクション」という全9巻の作品集を順に読んでいる。
いまは8巻目の「腹話術師/ねずみ」を読み始めたところ。残すところ1冊となり、ちょっと寂しい。
ところで今日夕方、仕事で千葉県N市のE台という街を訪れた。
実名を伏せているのは、その土地についてちょっと失礼なことを書きそうな予感があるからで、炎上防止対策だ。
E台は自分が住んでる地元と同じ路線にあり、車でもよく通過するが、こうして駅前に降り立ったのはたぶん初めてだ。
そういえばこの街には一時期つげ義春氏も住んでいたらしい(実名伏せてもバレるなこれじゃ)。
つげ氏はこの場所に移り住んだ理由を「古びた雰囲気が残っていて落ち着くから」みたいにエッセイに書いている。正確な表現は忘れたが、お気に入りの街だったようだ。
そういう目で見るせいか夕刻という時間帯のせいか、駅前も落ち着いた静かな空気。広場の中央に立ち木が一本あったりするのも昭和っぽい。
つげ氏の作品に出てくる山奥のひなびた温泉宿や古い商店街などをほうふつとさせる雰囲気だ。
仕事先へ向かうバスに乗る。通りは街灯の光も乏しく真っ暗だが、不思議になつかしく落ち着いた気分になる。
東武沿線なのになぜか小田急の名がついた住宅地がある。小田急、かつてこの地に進出しようと計画したのだろうか。採算が取れそうにないので撤退したとか。
そんなE台は、郊外の小さな町という点で僕の地元とも共通しているが、なにか決定的に違うものを感じる。
いったいどこにその差があるのか、つらつら考えた結果、
この街の佇まいは「さびれた」という言葉がふさわしいが、僕の地元は「殺風景」と表現するほうが近いのではと思いあたった。
「さびれた」という言葉には侘び寂びが感じられ、肯定的なニュアンスもあるが「殺風景」は、正直あまりほめられたものではない。
つげ作品のブランド効果もあってか、なんとなく自分の地元よりいいところに思えるE台。
駅の反対側は昭和の香りが残る商店街でけっこうにぎやかだ。
時間があったらゆっくり街歩きしてみたいですねー。