少し前のエントリでUSBメモリを無くした話をしました。
とりわけ仕事に関わるような重要なデータはなかったのですが、このUSBにはここ10年ぐらいのあいだに撮りためたプライベートの写真データがほぼ全部収められていた。
バカだねー、なんでリカバリをとらなかったんだろう。今までもパソコントラブルとかあるたびにリカバリの重要性を身に沁みて感じるのですが、つい面倒で怠っちゃうんですよねー。
一瞬で消えた10年あまりの思い出。これは精神的にキツいですよおー。大げさにいえば自分の人生の記録が一瞬で失われたようなものだ。軽い記憶喪失者になったようなものだ。
いやー、もうこれはあきらめるしかないと思っていたところ、少したってからひょっこり出てきたのでホッとしましたが。
USBが出てくるまでは、人はなぜ写真なんか撮って人生の記録を残そうとするのだろうみたいなことをさんざん考えました。
形あるものはいつか失われるのだ。写真というモノ(データ)として残っていなくても自分の記憶に残っていればそれでいいではないか。自分がいなくなればその記憶だって消えてしまう。
人生の大切な瞬間を写真に残すなんて、もしかしたら無意味な行為ではないか。もっと大切なもの、イコール自分の命さえ最後は失ってしまうのだから。
妙に悟った心境で、そんな哲学的な考察をめぐらせた。
不思議に喪失感よりは、身軽になったような気分のほうが大きかった。思い出が多すぎて今までの人生が重かったのかもしれない。
過去に執着するのもやめようと思っていた矢先USBが見つかり、またまた大げさだが自分の人生を取り戻したような気分になった。
めでたしめでたしという半面、USBがなくなったときのあの妙に身軽ですっきりした気分、あれはあれで捨てがたいなーという心境にもなった。
人生どんどん重みを増していくならどこかで過去を切り捨ててスッキリしたい、長く生きるほどそんな思いは強くなっていくのかなー、なんちて。