日常ゴーゴー!

取るに足らない日常の記録にただただ徹するブログ。

病院慣れ。

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12月がスタートした。

 

今月はしょっぱなから病院通い。

 

先月の検査で大腸ポリープが見つかった。先生からは「入院して切除が必要なレベルですね」

 

入院か‥‥。ま、ガンみたいな悪性なものではないのでよしとするか。

 

本日は簡単な検査のあとに診察で入院の日どりを決めた。一泊で済むということなので、バイトとの兼ね合いもあって心配していたがまずはひと安心。

 

そんなわけで朝から病院にいた。夕方近くまでの長丁場を覚悟したが、検査の順番を早くしてもらったりして思ったよりも順調に進み、昼過ぎには終了。

 

健康ではない人たちがたくさん集まる病院のような場所に行くと、とくに健康面に問題ない人も体調が悪くなってしまうということがあるようだ。人間の共感能力というやつなのだろうか。

 

僕も大腸に異常が見つかり病院に通い始めた当初は、通院のたびにどっと疲れたが、

 

これだけ短期間のあいだに何度も足を運ぶと、だんだん慣れてきた感じだ。病院慣れというやつか。他人への共感能力が低いのかもしれない。

 

入院のほうは来年の2月に決まった。お店が多忙な年末年始を過ぎてからなのでよかったが、夜勤に入る日に重なってしまっている。店長に相談して休みをもらわないと。

 

あさってもまた病院だ。今週はちょっとした通院ウイークだ。

 

昼は病院、夜はバイトの日々。なんだかこのブログ、しだいに闘病記みたいになってきた‥‥。

 

 

 

11月最後の遠出。

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ゴートゥトラベルは利用したことはないけど、

 

わりとひんぱんにちょっとした遠出を楽しんでいる。

 

11月最後の日曜の今日はうちからまっすぐ新4号国道を北上、栃木方面を目ざした。

 

快晴に恵まれ、日光の山々や那須連峰をのぞみながらのドライブ。紅葉もあちらこちらで見られ、遠くの方の山は雪をかぶっていた。

 

ちょうど昼ごろ矢板市のあたりで道路脇にイタリヤ料理の店を見つけて入る。ロッジ風のおしゃれな建物だ。

 

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店を出て裏山に神社への石段が続いているのを発見。狭くて急な、しかもかなりの年代ものであちこち石がポロポロ崩れており、上りながら身の危険を感じる。

 

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境内はやや荒れた感じではあったが、それでも初詣のときは土地の人々でにぎわうのだろうか。コロナ感染がまた拡大しつつあるなか、年末年始のイベントや行事はどうなるのだろうと少し気になる。

 

グーグルマップを見ていたら車で30分ほどのところに県民の森という場所があったので行ってみる。

 

山奥へ向かって一本道をひたすら進むと、リンゴ園の販売所が立ち並び、不意にダム湖が姿をあらわして県民の森到着。森林展示館や昆虫館などを見学。

 

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キャンプ場もあってテントを借りて宿泊もできるようだ。またこの付近の山々への登山口にもなっているようだ。

 

10年ちょっと前ぐらいまではけっこう山歩きもしてたけど最近ごぶさただ。挑戦してみたい気持ちはあるがいまいち自信がない。いつか登りにくるぞ!と決意を胸に秘め、ガイドマップだけもらってくる。

 

県民の森から折り返してちょうどひと月前に始めて訪れた高根沢の元気あっぷ村で入浴。風呂上がりに高台から見る落日が素晴らしかった。

 

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地道にポートフォリオづくり。

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ガマンの三連休、ヒマだったのでパソコンを開いてポートフォリオというのを作っていた。

 

自分のような無名のライターは年がら年じゅう仕事を探している。どこか書かせてくれる場所を。

 

安い金額で原稿書いて、用がなくなればそのまま使い捨ての、店先に並ぶ100円ライターと同じだ。

 

ウェブ上を探せばライター募集というのはけっこう見つかる。

 

そこでこちらからメールなどで連絡をとるわけだが、

 

そのとき相手から来る返事のなかに「ポートフォリオを見せてください」というのがよくある。

 

ポートフォリオというのはビジネス用語で会社の資産内容を意味するものらしいが、

 

この場合は「ライターがこれまで手がけた作品の一覧」といった意味だ。

 

もともとはデザイナーさんとかイラストレーターさんが仕事探し、つまり「営業」にまわる際に、自分の作品を一冊のファイルにまとめて持ち歩いていたらしい。

 

ウェブライターの場合は、あちこちのメディアに書いた記事を集めたサイトをつくったり、もっと簡単なところでは記事のリンク集なんかがポートフォリオにあたる。

 

ぼくの場合、書いてそのまま放り出しっぱなしが多く、自分でも把握しきれない状態になってるが、今後のことも考えて、

 

「一度あなたの作品を拝見したい」などと言われたときに「こちらになります!」と立派に胸を張って見せられるようなきちんとしたポートフォリオを目標に、いまから数ヶ月も前に制作に着手したが

 

もともとずぼらな性格のせいか、これがなかなか仕進まない。ちょこっと手をつけてそのまま放置しっぱなしになってしまった。

 

意外と思ったより面倒だ。かなり前に書いた記事をネット上で探してみても出てこなかったり。古い記事なので削除されてしまったのかもしれない。サイトそのものが閉鎖されてることもあるし。

 

ま、そんなふうに自分のこれまでの仕事を拾い集め、振り返ってみると、けっこう自分も頑張ってたなーと少しは自分を褒めてあげたい気持ちにもなる。

 

たとえ使い捨ての100円ライターでも、ほんのちょっとは世の中に明るい火を灯してこれたように思える。

 

そうやって自分で自分を元気づける。うす暗くて一寸先もよく見えないけれど。

 

ガマン、ガマン‥‥。

100本目。

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今回の投稿でなんとこのブログ100本目のエントリであります。

 

今年7月に開設して半年足らず。けっこう自分でもびっくりするようなハイペースな更新だった。

 

あまり内容について深く考えないのがよかったのだろう。たまに読み返すことがあるけど、ほんと中身のない、どうでもいいことを綴ってる日が多い。

 

実際には今以上に、意味もオチもなく毎日を淡々と記録していきたいんだけど。

 

歌人穂村弘さんの「にょにょっ記」を読んだ。

 

穂村さんの日記はシリーズになっていて、最初が「

にょっ記」、次が「にょにょっ記」、その次が「にょにょにょっ記」と、なんとも力の抜けたタイトルです。

 

中身の方もそれ以上に脱力していて、そのたくまぬギャグぶりに思わず失笑してしまうときも。

 

そして笑いながら、こんなふうに物事を見たことってあまりないな、と感心させられるのです。

 

短歌を詠むひとってこんなふうに現実を見ているのか、やっぱり普通の人と違うなーと思わされます。

 

普通の人ならこだわらないことにこだわってしまう、それはしばしば世の中には うまく適応できないことを意味します。

 

「だって常識で考えたらこうじゃん」て思考停止してしまうようなことを穂村さんたち歌人は見逃さない。なんとはなしの違和感をけしてスルーしない。

 

そこに僕らが見ているのとはぜんぜん違う世界像が立ち上がるのです。

 

実は今年のはじめあたりから短歌にハマってしまい、おもに穂村さんの作品を中心にいろいろ読んでいます。

 

短いので読むのにそれほど負担がかからないし、それでいて長い文章にもないような破壊力を感じる。いきなり後頭部をぶん殴られるような。めまいをおぼえながらポロポロ目ウロコが落ちていく。

 

穂村さんはにょっ記シリーズ以外にもたくさんエッセイ集を出しているのでこちらも読んでみたいです。なんか不器用で現実と折り合い悪そうなところが自分と似てるかも。

 

100本目を迎えた当ブログ、今後も穂村さんのにょっ記みたいな脱力テイストを目標に続けていきたいです。

こもりびと。

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昨日の深夜から1時間15分のドラマスペシャル「こもりびと」の再放送があった。

 

中高年の引きこもりを年老いた親が面倒見る、いわゆる8050問題を描いたもので、引きこもり男性を松山ケンイチ、その父親を武田鉄矢が演じる。

 

このドラマ、もしかしたら今後も再放送されるかもしれない。この先ネタバレ含むので楽しみにしている方は読まないことをおすすめします。

 

松山演じる引きこもり男性は30歳の時から10年間ほとんど部屋から出ずに暮らしている。その父親(武田鉄矢)にガンで余命半年の宣告がくだる。

 

父親は自分がガンであることを姪っ子の娘の協力を得てなんとかわが息子に伝えようとするのがドラマの発端だ。

 

息子は一流大学を出たが就職できず、非正規でファミレスの店長を続けていた(非正規で店長っていうのもすごい)。ま、人間関係とか働くことへの疑問とかいろいろあったのだろう。

 

父親は昔ながらの価値観の持ち主で働こうとしない息子をしばしば叱責し、それがますます息子を追い込む形となっている。残念ながら就職氷河期世代の息子と昭和ガンバリズムの父親とでは価値観が違うのだ。

 

ガンと診断された父親は自分が亡きあと何とか息子が自立できるよう姪っ子の力を借りて行動を開始するのだが‥‥。

 

主要な登場人物を父と息子、それに姪っ子の3人にしぼったのがドラマとして成功している。

 

普通はさまざまなキャラクターを登場させて脇のエピソードを膨らませたりするけど、このドラマは3人の関係性に焦点をしぼってじっくり掘り下げている。

 

またこの限定された人間関係というのは、引きこもり当事者とその家族が悩みを他者に相談できず、孤立を深めていくさまを暗に表現しているようでもある。

 

ま、ドラマの中の父親は役所や保健所など公的機関に相談しているのだが、そこでも39歳を越えると支援を受けられないとか精神障害者の認定がないと駄目とか厳しい現実がある。

 

2人を助けようとする姪っ子の娘は就活中。そこではセクハラを受けたりさまざまな苦難が待ち受けている。

 

それを見ると社会のレールに乗っていくのも、引きこもりと同じくらい苦しくて大変なことなんだと思ってしまう。

 

おそらく引きこもっている人たちというのは、社会に出て働いてる人たちにすごい引け目を感じていて、その劣等感ゆえになおさら出られなくなっているのかもしれないけど、

 

社会に出ている人たちだって、バリバリかっこよく仕事しているわけじゃない、だからそんなに引け目を感じなくてもいいのだというドラマの裏にあるメッセージを感じた。

 

僕も引きこもりではないが20代後半は失職してしまい悶々としていた時期があった。

 

当時は働いていない人間に対する風当たりは今より激しかったように思う。正社員志向も根強かった。いまは就職氷河期の影響とかコロナ失業でけしてめずらしいことではなくなったけど。

 

またネットやSNSを介してそういう人たちの声が届けられ、自分からも発信できて以前ほど孤立はしていないのではないかと。

 

ま、順調に社会生活を送っているようでも実情は引きこもりの人たちと同じくらい苦しかったり辛かったりということはあると思う。

 

だからけして社会に出て働くばかりがいいことではないのだという認識を持ちたい。

 

自分も仕事についたりやめたりを繰り返して、ずっと引きこもりすれすれの人生を送ってきたので、某有名AV監督の言葉をまねて「苦しいときには下を見ろ、オレがいる!」と言いたい。

今週の閉店情報。

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ガマンの三連休が明けた。

 

といってもガマンそのものが解禁されたわけではない。

 

むしろ今まで以上にガマンしなけりゃいけない状況かも。

 

ゴートゥは場所によって一時中止されたようだ。ま、当然だわな。

 

そのかわり中止になってない場所に人が集中していまい、そこで新たなクラスタが発生してもまずい。

 

緊急事態宣言が出たころの緊迫感がないもんなー、自分も含めて。

 

今日は昼からカラオケに行ってしまった。

 

いつもの店に行ったところ入り口は閉まっていて張り紙「11月10日に閉店しました」。

 

あまりにも唐突な幕切れであった。

 

このところ家のまわりではマックがばたばた店じまいしているし、駅前の書店兼レンタルビデオ店も閉めてしまった。

 

まるでドミノ倒しのような閉店ラッシュ。勢いが止まらない。

 

20年以上続いていた店が突如として閉店するので要注意だ。

 

軽いショックを受けながら少し離れた別の店へ。考えてみればこの店ももとはシダックスだったのが撤退してしまい、そのあとに別の店が入った。

 

シダックスもコロナが拡大する少し前から姿を消し始めている。なかにはネットカフェになってしまった店もある。

 

お店が姿を消すときは、前兆みたいなものがある。シダックスの場合もはじめは明け方まで営業していたのが徐々に営業時間がみじかくなり、毎週木曜は男性にかぎり2時間まで無料なんてサービスもあったのにいつしかそれも無くなってしまった。

 

営業短縮したりサービスが廃止されれば客足はますます遠ざかるわけで自分で自分の首を絞めているようなものだ。

 

さー次はどこが店じまいするんだろう。こちらとしては戦々恐々だ。

 

店がなくなるということはそのまま自分の生活スタイルが変わってしまうことだ。これまでと同じ暮らしを続けたくても外側の事情に左右されてしまう。

 

今年一年だけでもほんとにたくさんの店が姿を消したけど、それがコロナのせいなのか、コロナが衰退を加速させたのか、店主の高齢化といった別の理由があるのか微妙なところだ。

 

この調子では忘年会や新年会のシーズンもコロナの直撃をまぬがれないだろう。年が明けたら生活の様子ががらりと一変していた、なんてことがなければいいけど‥‥。

 

 

 

ガマンも限界。

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ガマンの三連休のなかぴ。

 

昼過ぎに外出、茨城方面を車でぐるりとまわる。

 

まずはじめに向かったのは牛久にある「きらく山公園」。

 

山というより小高い丘のような場所なのだが、芝生の広場にテニスコートや屋外ステージ、むかし懐かしいSLも静態保存されている。

 

休日ということで家族連れが大勢来ていた。最近キャンプが流行りだが、ビニールシートを広げキャンピング道具を並べて晴天のもとで談笑しているグループも見かけた。

 

公園のまわりには桜の木がいっぱいで花見の時期には桜まつりも開かれ人でにぎわうようだ。今年はコロナのせいでおまつりは中止になったみたいだが。

 

今度は桜の時期に来てみたい。

 

きらく山公園をあとにしてつくば方面へ。「イーアスつくば」というショッピングモールの前はけっこう車が並んでいる。

 

時刻は3時過ぎ。目の前にそびえている筑波山まで足を伸ばすことにする。

 

今から行けばちょうど沈む夕陽を山の中腹あたりから眺められるのではと車を飛ばす。ところが山の登り口あたりから車が長蛇の列。観光バスも来ている。

 

やはり茨城有数の観光スポットだ。休みの日に来るもんじゃない。

 

とくに今は紅葉のシーズン。筑波の山肌も赤や黄色に染まって見頃を迎え、これじゃあ大勢集まってくるわけだ。

 

筑波山神社のへんが渋滞の先頭で、どうやら駐車場が満杯で空きができるのを待っている車がずっと並んでいるらしい。

 

のぼりはじめたころはまだ明るく紅葉も楽しめたが、気がついたら日はとっくに沈み、あたりはとっぷりと暮れている。ヘッドライト点灯。

 

渋滞の列をかわしてさらに山を登っていく。しばらく順調だったが、つつじヶ丘というロープウェイ乗り場の手前でまたも渋滞。あきらめてUターン、引き返す。

 

考えてみれば2、3年前の正月、初日の出を見ようと来た時も渋滞に巻き込まれて今日とまったく同じパターンだった。少しは学習しろよ自分。

 

まあ山を下りながら眼下につくばの街明かりが一望できたので、わざわざ山の上までのぼった甲斐はあった。

 

帰路は守谷方面へまわりパスタを食べて帰ってきた。

 

牛久、筑波、守谷とぐるりと茨城をまわった1日。人も車もそこそこ出ていて、やはり天気もいいしみなさんガマンばかりもしてられないようだ。

 

明日の夜はバイトなので実質ぼくの連休は今日までです。