日常ゴーゴー!

取るに足らない日常の記録にただただ徹するブログ。

無関係な映画レビュー2本。

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ここ2、3日ハードディスクに録ってあった映画を立て続けに見てるのでいくつか紹介します。

まずは土曜の深夜放映していた70年代の映画「ビッグ・ウェンズデー」

中2の時に劇場で観た作品だ。当時小遣いの少ない中坊が封切り映画を見るのは盆と正月ぐらいなので印象に残っている。

内容はまあ「アメリカン・グラフィティ」のサーフィン版という感じでしょうか。

ストーリーはやや平板でもの足りないけど、サーフィンの場面がすごい。水面スレスレを移動するカメラ。まあこのサーフシーンが本作品のウリなのでしょう。今ほど撮影技術や機器が進歩していなかったはずなのに。

主人公たちが伝説の大きな波を待ち続けたように、若い頃ってみんな何かを待ち続けているんじゃないでしょうか。

僕も人生の大きな波を待ち続けていましたが、とうとうそれは訪れなかったようです。いや、とっくに来てたのに見送っちゃったのかな。

 

少し前に録った「三丁目の夕日」の録画があったのでざっと目を通す。

別に大好きな作品というわけでもないけれどTVでしょっちゅう放映されるので何度か見ている。

繰り返し見るうち、最初はストーリーばかり追っていて気づかなかった細部に気がつくようになる。

今回も、今まで気にもとめなかったワンシーンが印象に残った。

主人公である自動車修理工場の一家のもとに冷蔵庫が届き「これで三種の神器が揃ったわねえ」と堤真一薬師丸ひろ子の夫婦が大喜びする。

次のカットでは物憂げに煙草を吹かしていたピエール瀧がため息をひとつついて自転車で走り出すと、そのあとに新品と入れ替わりに捨てられた旧式の冷蔵庫などが山と積まれている。

新しいものと引き換えに古いものは見向きもせずに捨てられていく、高度経済成長の裏側で広まりつつあった風潮を、ひとことのセリフもまじえず伝えている。

堤真一演じる工場のオヤジは戦争帰りで、映画の随所で戦時中への思いなどを吐露している。彼のような戦争体験者の思いを過去のものと捨て去ることで、戦後の復興は成し遂げられたのだろうか。

このように「三丁目の夕日」は、焼け跡から這い上がる日本を手放しで賛美したわけではなく、一方では失われていくものへの目配りも十分にきかせていた。たんなる「あのころはよかった」のノスタルジー映画だけではなかったところがヒットの要因だったのかもしれない。

子どものころ「むかし日本は戦争で大変だったんだぞ」と説教たれるオッサンが苦手だったけど、トシとったせいかそんな人たちの気持ちも分かるようになった。

あの世代が姿を消すにつれ、世の中すさんできたような気もしますが…

 

こちら葛飾区亀有駅前古書店。

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マンガ「こち亀」で有名な亀有に2、3日前仕事で行ったとき、駅前で偶然本屋さんを見つけた。

でかでかと「books & record」と記されたひさしの下に雑誌類が並ぶ、昔ながらの風情が漂うかまえ。長年、地域で愛されながら地道に商売を続けてきたのだろうと想像させる。

駅前に書店の一軒や二軒、べつに珍しくもないだろう。

逆に自分の地元みたいに、駅前に書店どころかレンタルショップもカフェもないような町の方がおかしいのだ。そんな場所で暮らしてることのおかしさに気づかなければならないのに、あまりにもそんな日常に慣らされてしまっている。

よその街に来たときによく感じる、自分の地元とのあまりの落差。

不意に羨望と腹立たしさが込み上げてくるが、そこはぐっと抑え、ヒマつぶしがてらちょっと中をのぞいてみる。

するとびっくり、駅前だから普通の新刊書店かと思いつつ入ってみたら、新刊以外に古本も取り扱っているではありませんか。

新刊書と古書の割合はほぼ半分ずつぐらいでしょうか。しかもブ●●クオフみたくどこ行っても見かけるありふれた新古本ではなく、よそではなかなか目にしたことがないようなレアな古書が多い。

棚を見ていくと、なんと「八潮秘宝館」館主、兵頭喜貴氏撮影のラブドール写真集を発見。

以前どこかのメディアで取材して記事を書いたが、八潮秘宝館とは埼玉県の八潮という町にある不気味かつエロティックな隠れスポット。

兵頭さんは最近では自らの生活スタイルを記録したドキュメント映画を公開、一部ではカルト的な人気を誇っている。

うーん、たしかに亀有と八潮は目と鼻の先にはちがいないけど、まさかこんなとこでつながっていたとは…

店のひさしに記してあったように、本だけではなくアナログ盤やCD、DVDからビデオソフトまで音楽や映像メディアも豊富。

さらに一見書店とは何の関係もなさそうな昭和レトログッズが店内のそこかしこに陳列され、店の雰囲気づくりにひと役買っている。

仕事の移動中で落ち着いて店内を見る余裕もなく、とりあえず文藝別冊「エリック・クラプトン」を200円で購入。店主の方に「今度またゆっくり見に来ます」とあいさつし店を出た。

ちなみにクレジットカードは使えず現金のみ。

今日はあまり手持ちのキャッシュがなくて特価本1冊しか買えなかった。次は資金をたっぷり持ってこよう。

こち亀」だけじゃなくディープな魅力にあふれた街、亀有。

家から比較的近いのだがあまり立ち寄る機会はない。今度はいつ行けるかな…。

QOLの上がる街、下がる町。

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三連休最終日の昨日は、世間のみなさんが休日をエンジョイしてるのを尻目に、車を引取りに東京は下町、葛飾区亀有まで行った。

さすがチャキチャキの下町。駅前は若者からお年寄りまでおおぜいの人でにぎわっている。祝日のせいもあるのだろう。

改札口を出るとあの国民的人気マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(以下「こち亀」)の両さんをはじめとする登場人物たちの銅像に迎えられる。

このあたりも何度か来てるので両さん像が駅前にあるのは知っていたが、ナビを見るとひとつだけじゃなくいくつもあるようだ。

しかも「両さん祭り姿像」「ようこそ亀有像」などとそれぞれ名前がちがうらしい。

ひとつひとつ見てみたいが仕事中なのでそうもいかない。

ともかく亀有の街に活気がある理由はこの「こち亀」人気も大きいにちがいない。

僕の地元である●●市も「クレヨン××ちゃんの町」を必死にPRしているが町はさびれる一方だ。もともとのポテンシャルがちがうんだよな。

亀有は駅前をちょっと見わたしただけで、マクドナルドからミスドドトール、プロントなど、おもなファーストフードやコーヒーチェーンの店がほとんど揃ってる。もちろん他の飲食系も充実してて何を食べようか迷ったときも選択肢に困らない。

まあ亀有レベルの商店街があるところは都内ならそれほど珍しくもないだろう。

そういう街には周辺から、ときには遠方からも多くの人が訪れる。言うなら「ひとが入ってくる街」だ。

半面、自分の地元などは何もないので、みんな他所へ行ってしまう。こちらは「ひとが出ていく町」だ。

「ひとが入ってくる街」に来てみて、自分の住んでる地元の衰退ぶり、さびれた風景を思い出すと、あまりの違いに羨ましさと不公平な気分がこみあげる。

僕の地元のような場所と、ここに住むのとではライフスタイルがまったく変わってしまうだろうな。

大げさに言えば、クオリティ・オブ・ライフ、いわゆるQOLも大きく左右されるにちがいない。

たとえばその人の収入とか生活レベルにそれほど大きな差がなかったとしても、衰退する場所に住んでるか、活気あふれる街に住むかで人生の充実度は大きな差が出るはずだ。

どっちに住めば幸福なのか。もちろん騒々しい街なかより、ちょっと不便でも静かなところで暮らしたいと望むのも全然オッケーだろう。活気ある街だってそれなりに住んでみなけりゃ分からない苦労もあるはずだ。

一人ひとりがやりたいことをやりたいようにやり、好きなように生きる。それがQOLを上げる一番の方法かと思うのだが。

デイ・バイ・デイ。

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50代最後の1ヶ月が、いつもと変わりない感じで着実に1日ずつ過ぎていく。

なんの変化もないこの日常を肯定的に受け入れるか、それとも断固拒否して悪あがきし続けるか、ちょうど自分は今その分岐点にいるような気がする。

体力も気力も現状維持するだけではゆっくり下降していく一方だろう。

そう思ってジムでストレッチや、以前ちょこっとやってたヨガに再挑戦してみても昔なら簡単に曲がったところがなかなか曲がらない。あきらかに筋肉が固くなり、伸びなくなった。あれー、こんなはずじゃなかったのに。

以前はできたことが目に見えてできなくなっていくのは残念なものだ。できないことはこれから少しずつ増えていくんだろうなー。

ぼんやりと目の前に迫ってくる老いが、しだいに実体化してくる。自分がピークを越えちゃったのを実感する。

思い返すと50代に入ってからコンビニで夜勤のバイトを始めたころから身体の不調が激しくなった気がする。

当時はひと晩じゅう立ちっぱなし、ただレジにいるだけじゃなく品出しや掃除で店内やバックヤードを目まぐるしく歩きまわっていた。

1年目はまだよかったんだけど2年目あたりから寝起きなどに身体の節々に妙な痛みを覚えるようになった。筋肉痛とも少し違う、なんだか万力でギリギリ締めつけられているような感覚だ。

しばらくたつと消えてしまうのでバイトも以前のまま続けていた。コンビニ夜勤をやめると万力で締められるような痛みもなくなった。

あのときすぐにバイトをやめてれば、いまみたいに身体が固くなったりとかもなかったかもなー。べつにコンビニで一生働き続け、骨を埋めるつもりもなかったし。

あの頃は昼間もライターの仕事で取材などに動きまわっていて夜からコンビニという生活パターンだったからなー。今だったらとても無理だ。

まあコンビニやめて別の仕事についたところで何かしら身体の不調は出てきたかもしれない。この年になれば当たり前だ。

これが自然の流れというやつかもなー。静かにありのままを受け入れるか、ジタバタ無駄な抵抗を続けるか。

迷いながら、着実に近づいてくる60代。

旅の途中。

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今日の仕事は福島まで1台引取りに行き、まっすぐ帰ってきて終了というオイシイ仕事。つい遊びモードになってしまいそうだ。出発が朝6時とちょっと早いけど、まあこれはいつものことだし。

ナビで行程を調べたら乗り換えが7〜8回あるらしい。同じ路線でも途中で何度も乗り継がなきゃならないのだ。

新幹線だったら2、3回乗り換えで済むのに会社はセコいので予算軽減のため鈍行で行けという指示。

朝6時に出ても到着は昼過ぎだ。半日電車に揺られるのかい。まあ新幹線も味気ないけど。

久喜駅からJRの快速電車ラビットに乗車(ここへ来るまでですでに2、3回乗り換え)。ちょうど朝の出勤時間帯で座れなかったがこれは想定内。古河からは座ることができた。

ふだんはなかなか集中できないが、長旅なのでじっくり読書できるかなと文庫本を開いたがいくらもたたずに眠くなってくる。いや、これもいつものこと。電車での移動時間は自分の場合そのまんま睡眠時間とイコールなのだ。

まわりのお客もけっこう爆睡してる。

電車に乗ってると感じるのが、東京周辺の電車だと座ってる人もスマホ見てたり本読んだり、あるいはパソコン出して仕事してたり、何かしらやってる人がほとんどだが、東京から離れるにつれビジネスマンも高校生もやたら寝まくってることだ。

たしかに窓の外の風景も単調で、駅と駅の間も長いから気持ちはわからないでもないんだけど。

なんかもう、起きてても楽しいことなんて何もないと言わんばかりだ。

そんなお客たちに囲まれてるとこっちも眠気をもよおしてくる。てか、移動中も寸暇を惜しんでネット見たり本読んだり、あくせくしてる自分がバカバカしくなってくる。

こういうゆるいライフスタイルも、ある意味幸せなのかもしれない。

睡魔が去ったあとも気分はダレダレ。しだいに電車に揺られてるのが苦痛になり始める。

他の人たちにすれば日常的に使ってる路線なんだろうけど、みなさん生活感出し過ぎでこっちもなかなか旅行気分になれない。いや、旅行じゃなくて仕事なんだけど。

宇都宮から乗った列車は黒磯止まり。ひとけのないホームに強制的に追い出される。まだ先が長いのにこんなところで…。

しかも次の電車は1時間後。せっかくなので改札口を出て黒磯ウォッチングで時間をつぶす。

通りは真新しいけどあちこちにレトロな建物が残っている。残念ながら朝早いのでほとんどがまだ営業前。

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近代的なデザインの図書館もあったがこちらも開館前。時間つぶしに最適だったのに。

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ブラーっとひとまわりして少し早めにホームに戻る。することないので駅の構内や通過列車をスマホで撮りまくり、突然撮り鉄に変身する。

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それにも飽きたので待合室に入りこの記事を書き始める。ブログはほんとヒマつぶしに便利。

やっとのことで新白石行き列車が入線。

さすがにもう乗り込んでくる人はほとんどいない。ガラガラの4人がけボックス席を独占。

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だんだん旅行気分になってきた…。

シックスティ・キャンドルズ

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6月末、ひと月ぶんの給料が振り込まれたのをコンビニのATM画面で確認。

5月の連休シーズンにずいぶん休んでしまい先月はピンチだったが今月はどうにか持ち直した。クレジットの支払いも無事に済みそうでひと安心だ。

さて、とうとう7月になってしまった。

毎年のように書くけれども、この月は1年の後半の始まりであると同時に個人的にはひとつ年を重ねる月でもあって、二重の焦燥感にとらわれる。

小さいスケールでは「今年も半分過ぎたのにたいしたことしてねーなー」

少しスケールを広げると「1年間たいして変化もなくまたひとつトシとるなー」

どっちにせよたいしたことをしてない自分に嫌気がさす月だ。

さらに今年はいつもの年とちがい、50代から60代の大台に乗ってしまうというメモリアル・イヤー。

「これまでの60年間、何をやってきたんだろう」みたいな思いも加わって焦燥感は3倍となる。

さんざん考えながら生きてきたものの、答えは出ない。

きっと一生、答えは見つからないんだろうな。

もしかして人生が終わるその瞬間に、気づくのかもしれない。「これが俺の人生だったんだなー」みたいな。

それが分かる時までは、まあ生きてみましょうか。

今回のタイトルはオールディーズの名曲「シックスティーン・キャンドルズ」から来ています。

ローソクが16本なら誕生ケーキに刺さるだろうけど60本じゃ多すぎて刺さんねーなw

まあ大げさにいえばこのブログも自分の生きた軌跡を綴っている人生の記録でありまして。

もう少しマメに更新しないとなー…。

 

※画像はフリーイラスト素材集「ジャパクリップ」からです。

 

ちょっと意地悪。

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休日、都内へバンド練習に向かうためにホームで電車を待っていたときのこと。

ホームには何人か列車を待つ人がいたが、自分の後ろにも2人組の女性が立った。

友だち同士で旅行に出かけるところなのか、しきりにおしゃべりを続けている。

それはいいのだが、テンションが上がってるのか喋る声が異様に早口でしかもけたたましい。

自分はイヤホンをして音楽を聴いていたが、それでもはっきりと内容まで聞き取れるような、耳をつんざくキンキン声だ。

ホームには他にも何人かいるが、誰もそんな大きな声で喋ってる人はいない。

なんだかなー、まあお出かけで盛り上がってるのだからしょうがないかなーと思いつつ、なるべく近くには行かないよう距離を置いて電車を待っていた。

電車が到着、開いたドアから車内に入る。自分から少し遅れて女性2人組も入ってきた。

車内の混み具合は3割から4割というところだろうか。ところどころ席が開いている。

僕に続いて乗り込んでくる後ろの女性2人を意識しつつ、車内を見まわすとちょうど3人分空いているスペースがあった。

とっさに判断し、その真ん中に腰をおろす。

僕の両側に1人分ずつ空きができ、目の前には2人組の騒々しい女性たちが立った。

普通ならここで脇にずれて2人分のスペースをつくってあげるべきだろう。しかしすぐ隣に座られてそこでベチャベチャやられたのではたまらない。

横にずれろオーラを全身から発している女性2人をひたすら無視してじっとその場を死守し続ける。彼女たちはあきらめたように別の空席を探し、移動していった。

そのあと彼女たちが座れたかどうかよく見てないが、ハイテンションな喋り声だけは車両の奥の方から聞こえてきた。まわりにいる乗客たちはさぞかし迷惑だったろう。

自分もそんなにうるさい客でなければ端っこにずれて座らせてあげてもよかったんだけどねー。

つい意地悪心が起きてしまった。まあ相手によるよなー。