日常ゴーゴー!

取るに足らない日常の記録にただただ徹するブログ。

モチベーションアップ!

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今日はバンドの練習日。月イチで続けてきてこれでたぶん4回目か5回目だ。

都内へ向かう電車のなか、バンドのグループLINEを見ると、他のメンバーはギターやキーボードを自宅から持ってくかスタジオでレンタルするか相談している。

重い楽器を持ち運ぶ人たちは本当に大変だ。それにくらべたらドラマーはとりあえずスティック2本持ってけばいいのでほんとラク(笑)。

ま、上級者はマイスネアを携行したり楽器車でセット一式運んだりするんでしょうが。自分の場合キャリアは長いけどまだまだビギナーなので。

それでも今回は少し音にバリエーションを出そうとカウベルやタンバリンなど打楽器系の小物類も持ってくことにした。使うかどうかわからないけど。

 

さて、自宅で練習するために中古の電子ドラムを購入したことは先日当ブログでお伝えした。

また、買ったはいいがあまり練習に熱が入らず、このままではホコリをかぶった無用の長物と化してしまいそうなことも。

実はこの電ドラセットは本体だけでイスがついていなかった。

はじめは「イスなんか何だっていいじゃん」と、前から家にあるフタが付いてて座れるようになってるブリキのバケツ(インテリア雑貨でよく売ってるやつ)に腰かけて叩いていたが、やはり使い勝手が良くない。座面の高さも調節できないし。

で、中古でもいいからドラム用のイスがないかなーと、ここ数ヶ月あちこちのリサイクルショップで探してたけどなかなか見つからない。

それが先日、近所のハードオフの楽器売り場でついに発見。

値段を見たら7千円。うーん、まあ手の届かない数字ではない。新品なら倍はするらしいし。

また電ドラの音を出すスピーカーかアンプも欲しいなと思っていた。

ヘッドホンをつけて練習してたがコードがジャマだし、やはり迫力がイマイチだ。

そんなこんなであまり練習に向かう気にもならなかった。たんに練習嫌いなのを、イスがないだのアンプがないだのを理由に正当化してるのかもだけど。

椅子を見つけた楽器コーナーにはいくつか中古のアンプも置いてあり、そのひとつがかなり手ごろな値段だった。

ギター弾くときも使えそうだし、ものはついでだっ!とこれも購入決定。

もちろん手持ちは心細いのでカードで分割払い。

うーん、今でさえ3つ4つ分割で払ってるのに、これ以上ローンを抱え込むのはツラい。

でもまあこれでやる気が出るなら安いもんだ。

今日の練習ではその成果を披露するぞ!

 

箱根。

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1週間ほど前の話になりますが、箱根の山の中まで車の引取りに行く仕事があった。

新宿から小田急で行くつもりでいたけどナビで調べると小田原から路線バスで行く方が早いらしい。大宮からJR一本で小田原まで行き、およそ30分のバスの旅となった。

箱根湯本で車窓から写真撮影。ガラスの色で全体的に薄くブルーがかってしまいました↑

そしていよいよ箱根の峠道へ。ゆうべの雨がまだ少し残っていて、どんよりとした雲が頭上に広がっている。

遠くの山々には霧がたちこめ、新緑がしっとりした色であたりの空気までうっすらと緑に染まっているようだ。道ばたの茂みに咲くアジサイもみずみずしい。

晴天のほうが旅行日和かもしれないけど、こんな天候も涼しくて過ごしやすい。いや、旅行で来たわけじゃないんですけど。

強羅のバス停で降りる。宮城野橋の下、川の流れが音を立てている。いつもこんなに水量が多いのだろうか。前日の雨のせいかもしれない。

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スマホのナビが示す行き先へ向かうと、目の前に延々と続く上り坂が。めざす引取り先はこの坂を10分以上上った先にあるらしい。

こ、これはナビでも教えてくれなかった…

ともかく覚悟を決めて歩き始める。

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ゆるやかにカーブを描きながら坂はどこまでもダラダラと続く。途中何度も車に追い越される。

少し上ったところで振り返ってみると、バス停を降りたところはもうかなり下の方だ。

ふだんより呼吸が苦しい。空気が薄いのだろうか。箱根駅伝の選手の大変さが少し実感できた。

無事に車を引取り、もときた峠道を下っていく。せっかく観光地まで来ても名所やスポットはみな素通りだ。

箱根はむかし添乗員だったころツアーでよく訪れた場所で、思い出深い場所も多い。

今の時期だとアジサイが見ごろなので、箱根登山鉄道に乗って線路脇のアジサイを鑑賞するツアーによく同行した。

一般の観光客と同じ電車に乗り合わせるので車内は通勤ラッシュのようだった。電車に乗り込むと激しい席取り合戦が展開される。

ほかにも箱根富士屋ホテルで昼食をとったり遊覧船に乗って芦ノ湖を横断したりと、半分遊んでるみたいな仕事だった。

以前、当ブログの「穴守再訪」という投稿でも書いたけど、このところ以前縁があった土地に仕事などでまた訪れることが多くなった。→https://nanasee.hatenadiary.jp/entry/2024/05/19/020118

というか、ある程度生きてくると縁のある土地が自然と増えてくるのだろう。あちこち職を渡り歩いた僕みたいな人間はなおさらだ。

ツアーの添乗員にせよ、空港の荷物受取り係にしせよ、いまの自分とまったく違う仕事をしていたわけで、「あの頃はあの頃、今は今」みたいに自分の中で区切りをつけないと先へ進むことができなかった。

そんな風にして、大げさに言えば過去の自分を切り捨てるようにして今日まできたわけだけど、たまにこうして以前よく来た場所を訪れると、昔の自分と今の自分がつながったような感じを覚える。

たまにはこういう瞬間も必要だよな。でないと今までの人生、いったい自分は何をやってきたのか分からなくなってしまいそうだ。

ま、もうすぐ60のジジイがただ懐かしがってるだけかもしれないけどね。

浅草一周ウォーキング。

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先週土曜、秋葉原の練習スタジオで3回目のセッションをやった。

場所が秋葉原でも少しはずれの上野寄りだったので、練習後メンバーとお茶して別れ、末広町から地下鉄銀座線に乗った。

で、本来ならふた駅先の上野で日比谷線に乗り換えなきゃならなかったのだけど、慣れない路線だったせいかうっかり乗り過ごしてしまった。

さいわいすぐ気がついたので次の駅で戻ってもよかったが、

このまま浅草まで行って久しぶりにあのへんを目的もなくうろついてみるかと思い立った。帰りは東武線で春日部まで一本で行けるし。

生まれ育ったのが足立区かいわいで、子供のころはよく遊びに来た浅草だけど、大人になってからはめったに足を運ばなくなった。

まあ都心から少しはずれてるし、新宿渋谷にくらべてちょっと古くさい感じもするし。

でも自分自身が古くさい人間になってしまったせいか、最近はこのあたりも悪くないかなーと。

で、終点浅草に着いて改札を出てみたら、いきなりこんな光景。

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こ、これって映画「PERFECT DAYS」で役所広司演じる主人公が足繁く通い、古本なんかを買い求めていたあの地下街では…。

いかにもセットみたいだけど実在の場所なんですね。

すごいわ、このブレードランナー感覚。リドリー・スコット監督に1本撮ってほしいわ。

中古のDVDがいっぱい並んでる店を見つける。たしかここも映画に出てきたよなー。レンタル落ちか何か知らないけどずいぶん安値だった。

一杯飲み屋の店先でテーブルを囲み、地元民とおぼしき方々がコップ酒をあおっている。まだ外は明るいというのに仕事終わりのなごやかな雰囲気だ。

海外からの観光客や、映画でこの場所を知ったらしい人たちの姿も目立ち、みなこの空間に息を飲み、さかんにスマホやカメラで撮影しまくっていた。

地下街から地上へ出ると目の前にレトロな松屋のデパートがそびえ立つ。東武線が乗り入れてる駅ビルでもあります。

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仲見世でマックを見つけ、軽く腹ごしらえ。店の中も海外からのお客さんが圧倒的に多い。てかお店の従業員もあちらの方だし。

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仲見世を抜けて浅草寺へ。参道に並ぶ店々もその商品も、気のせいか僕の子供時代よりあか抜けた印象。

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境内をひとまわりするともう夕暮れ。落日の浅草寺

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浅草といえば子どもだった僕には花やしき。タワーの長い影に引き寄せられるように細い路地に迷い込む。

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終戦直後の焼け残りみたいな映画館が建っていた浅草六区もいまはこんな感じ。

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20歳のころここで映画を観た帰り、夜更けの通りを歩いてたら手配師みたいなオッサンに声かけられた。宿もない食い詰め者だと思われたんだろうなー。

バブルのころには大きなデパートもあったっけ。六区だけに名前はロックス(笑)。

ここまで来たら隅田川を見てくしかない。いつも首都高から見てる風景もここから見ると新鮮だ。

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東武線の鉄橋下に通路ができてて、歩いて向こう岸に渡れるようになってて驚いた。

この大鉄橋、大きなカーブを描いてて、電車はスピードを落としながら駅構内へと吸い込まれていく。子どものときはこの橋を渡るとき、電車が川に落ちるんじゃないかとこわかったなー。

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というわけで浅草を一周、東武の駅にゴールして埼玉の我が家まで帰途につきました。

子どもの頃とすっかり変わってしまい、よそよそしい感じもする浅草ですが、これからもバンド練習の帰りなどにちょくちょく足を運んでみたいです。

 

金欠。

 

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6月に入った。

個人的には一年のうちでもっとも好きかもしれない初夏の季節だ。ジメジメするのはイヤだけど。

先月は大型連休もあったが会社じたいヒマだったのか「悪いけど明日休んで」みたいな連絡が入ることが多かった。

昨日給料が振り込まれていたが、明細を見たらいつもの月より大減収だった。毎月実家に入れてる生活費も今月は申しわけないが減額させてもらった。

少し前まではメインの収入が少なくても並行して続けていたライターの原稿料でどうにか補うこともできた。それも今は開店休業中だし。

先月みたいに休みが多いとつい遊び歩いてしまい、不要な出費もかさむ。とくにG Wは泊まりがけで旅行もしてしまったし。

これからしばらくはインドア的ライフスタイルに転向しようか。積ん読や未見の録画、DVDがかなり消化できそうだ。

それはいいとして、問題は次のローンが返済できるかどうか。

BDプレーヤーだの電子ドラムだのパソコンだの、今年前半は立て続けにローンを組んで購入してしまった。

ひとつあたりのの支払いはたいした額でなくても、それが二つ三つと累積すると結構な額になる。

これじゃ一括で買うのとたいして変わらず、利息のぶんだけソンしてるよなー。まさに貧すれば鈍。ドンドンドン、ドンキホーテ

まあ先月後半からは普通に稼働してるので今月さえじっと耐えしのげば来月から持ち直すだろう。

今日は休みだがバンドの練習日だ。場所は都内なので交通費やスタジオ代、飲食代がかさみそうだ。

しかし給料が入っていきなり金欠ってのもなー‥‥

さて、気を取り直してそろそろ練習に出かけるとするか。

 

 

純烈ライブ初体験。

 

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毎朝配達してくれる牛乳屋さんから純烈コンサートのチラシをもらった。

このチラシで応募するとチケット代7千円がほぼ半額になるらしい。

純烈などさして関心のない母がチケット半額につられ、観に行きたいと言いだした。

僕にしても純烈なんてまったく興味ないんだけど、いろんなジャンルの音楽を聴いておくのも悪くないかと、足を運んでみることにした。

会場は自宅から近い越谷市サンシティホールというところ。車でひと走りなのでわざわざ電車を乗り継いで都内まで出るよりラクだ。

このホールは毎月映画の上映会をやっているので一時期よく通っていた。劇団四季近藤良平率いるコンドルズの公演を観にきたこともあるがここんとこご無沙汰だ。

夕方近くに家を出、近くのコメダ珈琲でひと休みして会場へ。電話で申し込んだだけでチケット現物はまだ手にしてないということなので少し早めに行く。

手元にチケットがないということは、席もどのあたりなのかまるで見当がつかない。

会場が混雑してるとチケット入手も手間がかかりそうなので、先に母を会場前で降ろし、自分は地下の駐車場へ車を入れるという別行動作戦をとった。

車を停め、エレベーターでロビーへ上がる。思っていたほどごった返してなく、母と落ち合って入手したチケットを見せてもらう。

「××列かー、ちょっと後ろの方だなあ」

スマホで検索してホールの座席表を出し、見てみたら、ちょっと後ろどころではなく一階席の最後列だった。

純烈人気、おそろしや。

ともかく開場したのでホールへ入り、割り当てられた席へ。まあ最後列とはいっても、スタジアムやアリーナ規模の会場じゃないのでステージからの距離もまあまあ許せるレベル。

そこから見渡す場内はお客がぎっしりだ。たしかこの日、純烈の面々は昼と夜の2回公演だった。

ということは昼間もこんな満員御礼だったのか。

あらためて純烈、おそるべし。

ステージに純烈の4人が登場、バンドをバックに歌い始めると客席のあちこちでペンライトの光が左右に揺れ始める。赤や青、緑と色が切り替わるのだが、応援するメンバーによって決まったカラーがあるらしい。

こっちは4人の区別もあまりつかない状況。曲の合間のMCでメガネをかけている人が一番中心になって喋るのでどうやらこの人がリーダーらしい。

それにしても1曲歌ったあとのMCが長い。そして芸人みたいに面白い。さすがは関西の人だ。お客は爆笑の連続でこれも純烈魅力なのだろう。彼らの持ち歌をほとんど知らない自分たちもこのMCのおかげでずいぶん楽しむことができた。

客席の前半分を占めているのはファンクラブの人たちで中には昼の回と両方観ている方もいるらしい。自分らのような一見さんは後ろのほうになるわけだ。

後半メンバーが客席をまわりファンたちと握手する。このときだけは撮影OKでみなスマホの電源を入れ始め、客電も明るくなる。

通路から離れた席の人は手が届かないが、自分たちは最後列なのが幸いしてすぐ後ろが通路だったので、まわってきたメンバーの1人とほんの一瞬だけ握手。誰と握手したのかよく分からないんですけど。

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ということで、彼らの曲をほとんど知らなくても楽しめる純烈コンサートでした。

 

 

 

 

 

 

「本の雑誌」の浜本さん。

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よく利用するとなり町の図書館で「本の雑誌」編集長の浜本茂氏を迎え、講演会が行われた。

本の雑誌」は読書家の方には説明不要と思われるが、エッセイストで作家の椎名誠氏や書評家で昨年亡くなられた目黒考二氏などが編集長・発行人をつとめる書評雑誌だ。何年か前にそれまでの目黒氏から浜本氏へと編集長職がバトンタッチされた。

壇上に上がった浜本氏は「本の雑誌」の成り立ちから話し始める。

その出発点は、若き椎名氏と目黒氏は同じ職場で知り合い、読んだ本について語り合ううちに意気投合、創刊した同人誌だったそうだ。

好きな本について語り合える仲間がいる点がまず素晴らしい。自分にはそういうふうに読書や趣味などを語り合う相手というものが存在しないのでとてもうらやましかった。

そもそも目黒氏の方は大学を出てからわずか数年のあいだに7回に及ぶ転職を繰り返したという。会社をやめるときの理由は「仕事が忙しくて本が読めないから」というまことにシンプルなもの(笑)。

僕もかなり転職してるけど目黒氏はその上を行ってるな。

けれど目黒氏の場合その趣味が仕事に結びついたのだからたいへん幸福なことだったのではなかったろうか。もちろんいろいろ大変さもあったろうが。

その後「本の雑誌」は、季刊から隔月刊、月刊と軌道に乗る。しだいにメジャーな存在になっていくなかで、取次は通さず各地の書店へ電車などに乗って直接配本するという家内制手工業的なやり方にこだわった。後半の方は部数も取引先も倍増してさぞかし大変だったろう。

そのへんのところは目黒氏の著書「本の雑誌風雲録」や椎名氏の手になる「本の雑誌血風録」に詳しく書いてあるが、配本には学生スタッフによる「配本部隊」がほとんどボランティア同然で活躍していたという。報酬は仕事のあとの食事代や飲み代ぐらいだったとか。

現在編集長をつとめる浜本氏もたしかこの学生スタッフ出身だったのではないかと思う。今度「風雲録」や「血風録」を読んで確認しておこう。

 

講演の後半は、浜本さんが立ち上げのきっかけづくりとなった本屋大賞をめぐる話題となる。

いまでは絶大な影響力を持つ同賞も、きっかけは浜本氏や書店員たちの雑談から始まった。

いわく、芥川賞直木賞だけでなく本を売る現場の人たちによる格付けも必要ではないかーー

書店員の投票形式でその年のベストワンを選ぶ試みはその後20年以上にわたって続けられる。今回の講演で配布された資料で受賞作のラインナップを見たが、そのほとんどがベストセラーになり映画化されていて同賞の人気の高さがうかがえる。

ちなみに今年、2024年の受賞作は宮島未奈氏の「成瀬は天下取りにいく」。

浜本氏が「もう読んだ方いらっしゃいますかあー?」という問いかけに、会場からパラパラと何名かの手が上がる。

恥ずかしながら僕は未読であった。いいわけになるけど自分はノンフィクション系が主体で小説はあまり読まないのだ。

いずれにせよ読書量が少ないのはあまり褒められたことではない。

とくに最近は仕事が忙しいせいかくやしくなるほど本が読めず、若いころの目黒氏の気持ちがよくわかる。

いまでも自分にとって本や物語はなくてはならないものだが、生活のなかで読書が占める割合は以前にくらべ格段に減りつつある。時間的にも気持ち的にも。

出版編集や文芸といった世界もずいぶん自分から遠いものになってしまった。最近はライターの仕事もしてないし。

今回の浜本氏の話もそれなりに興味深かったが、残念ながらまったく別世界の話であり、自分は相変わらずこの文芸とは無縁な日常を送るだけだろう。

本好きな自分と、本なんかあまり役に立たない現実に追われる自分とが分断され、後者の方がしだいにメインにとってかわろうとしている。

また昔みたいに何もかも忘れて物語世界に没入する至高の体験をしてみたい。

穴守再訪。

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車を引取りに大田区まで出向いた。

下車駅は京急羽田線の穴守稲荷。羽田空港がもう目の前という場所だ。

この一帯には縁がある。

以前、羽田空港で海外から入国してきた人たちの荷物を預かり、宅配業者に委託するカウンターのバイトをしていたのだ。

まだ今のような立派な国際ターミナルのビルではなく、プレハブに毛が生えたような簡素な建物だった。

カウンターの仕事は飛行機が着いたときだけ急に忙しくなるが、合間の時間はわりとヒマだ。羽田に発着する国際便は当時まだそれほどなくて、韓国からの飛行機が一日数本だけ。到着ロビーはいつも閑散としていた。

深夜も海外からの便はあるのでカウンターには誰かいなけりゃならず、そんな深夜勤務がほぼ2、3日おきにあった。忙しいときは連チャンもやった。

真夜中、がらんとしたロビーに到着のアナウンスが流れ、しばらくすると目の前の自動ドアが開き、ぱらぱらとお客が出てくる。

そのうちの何人かは重たそうなトランクをゴロゴロ引きずってカウンターの前に立つ。荷物をあずかり大きさや重さを測って所定の金額を受け取れば完了だ。

お客のほとんどは帰国した日本人で、たまに韓国の人も来るけどみな日本語たん能で、語学力はほとんど必要なかった。

バイト仲間のなかに外人が苦手で、外国客がカウンターに来るとさりげなく奥へ引っ込んで僕に接客を押しつけるヤツもいたっけな(笑)。

深夜も午前2時をまわると朝方まで到着便はない。ロビーは照明も消され真っ暗になる。

僕らの業務も一段落だが、電車がないので帰るわけにもいかず、カウンターの奥で床に段ボールを敷いて寝袋に入り、朝まで仮眠した。

始発が動くころようやく帰れるわけだが、帰宅せずにそのまま次の昼もシフトに入ったり、4,5日ぶっ続けで出勤とかもありで、ほとんど空港に住んでるようなもんだった。

そんなバイトたちのために空港からほど近い穴守稲荷のマンションの一室が社員寮として用意されていた。夜勤が明けると部屋へ行って仮眠をとり夕方またバイトへ向かうというパターン。

自分の場合家が遠いこともあり、バイトがなくても帰らずにマンションに入りびたり、昼間時間があると蒲田や川崎といった近くの盛り場をブラついたりしていた。

今回穴守の町に降り立つのは15年ぶりぐらいだろうか。駅を出ると真っ赤な鳥居が立っているが(写真)こんな鳥居、自分がバイトしてたころあったろうか。

夜勤明けによく朝セットを食べていた駅前のマックはコンビニに変わっていた。よく立ち読みした向かいの書店も「空港プリン」という羽田名物を提供するブックカフェとなっていた。時代の流れで書店が姿を消していくのもまあしょうがない。

昔ながらの八百屋で買い物をしたらレジを売ってくれたのはどこかの国の女性だった。ここへ来る途中も電車内に外人の姿が多かった。空港が近いからあたりまえか。

穴守の駅から続く商店街をしばらく歩くが、記憶にある風景ほほとんど見当たらなかった。

寝泊まりしてたマンションも見つからない。ベランダから京浜工業地帯が一望できるような高い建物だったのに。取り壊されてアパホテルになってしまったんかな。

20代のはじめ、都内のアパートで一人暮らしをしていた。いろいろよんどころない事情で埼玉の実家に戻ってしまったが、機会があればまた東京で暮らしてみたいという思いはずっとあった。

考えてみれば羽田でのバイトの日々は、第二の東京暮らしのようなものだったな。思いもかけず望みが実現したわけだ。

車の引取り先を探し、どこか懐かしいような路地をゆく。目の前の建物の隙間に見える空を飛行機がゆっくりと上昇していった。

うーん、ちょっと泣きそう。