もうご存知の方はご存知だろう。そして知らない方はまったく知らないかもしれない。
「赤い公園」というガールズバンドのギタリストを務めていた方が急逝した。
まだ29歳の若さ。現場の状況から自殺の可能性があるという。
第一報は運転中の車のカーラジオで聞いた。いつも聞いている生放送のふだんは軽妙なトークを聞かせるパーソナリティが、その死を伝える本番の時間中ほとんど絶句したままだった。
ネットのニュースでも報じられ、SNSでも彼女の死を悼む声をいくつか見かけた。しかしその後の夕方や夜の報道番組などではまったく取り上げた様子がなかった。少なくとも僕が知ってるかぎり。
一夜明けて翌日から朝のワイドショーでもどこも取り上げていなかったようだ。このブログの冒頭の「知らない人はまったく知らない」とはそういう意味だ。
有名人の自死が続いている。誰もが知っている人が死を選ぶことは世間の多くの人たちにショックを与える。いま、ひそかに死を望み、実行に移す一歩手前にいる人の背中を押してしまうことにもつながってしまう。
そんな連鎖が起きないようにという配慮だろう。それは十分理解できる。だけど何かもやもやしたものが残る。
何か大切なことが隠蔽されているような、見て見ぬ振りをして済まそうとしているような、あと味の悪さを感じるのだ。
もちろん彼女と何の関係もない(バンドの曲もほとんど知らない)自分がそんなことを知ろうとするのは、興味本位以外のなにものでもないかもしれない。
そんな自分の中の野次馬根性の存在を疑いながらも、そして死の連鎖がこれ以上続かないようにという配慮は十分に理解しながらも、
報道管制のような事態が起きている現在の状況はどうなんだろう、と思ってしまう。
拡大解釈すれば、こんなふうに報道されず、無かったことにされてる事実はほかにもいっぱいあるのではないかと。
社会的にも認知され影響力もある人が突然の死を選ぶ。その背後にどんな事情があったのだろう、その事情が見過ごされてるこの社会ってどうなんだろう。もしかしたら彼女にも命をかけて何か訴えたいことがあったのかもしれない。
そんなことを真剣に考えるきっかけも、もしかしたら奪われているのかもしれない。
自分自身の問題として、考えたいと思う部分もある。もしかしたらその魔力に引き寄せられてしまうかもしれないけれど。
メメント・モリ(死を忘れるな)という言葉がある一方、死について口にすることはタブーという風潮も依然、強くて
目を背け続けているからこそ、いざその場に立ち会ったらどうしていいか分からず、混乱し、取り乱してしまうことだってあるだろう。
死について考えることは、よく生きることにもつながると思うのだけど。さらなる悲劇を生まないためにも。