親父が車を買ったディーラーへ電話をかけている。
以前から車のタイヤの調子がおかしくて、ブレーキをかけると妙な音が響くのだ。
ひと月ほど前にディーラーへ持って行って点検したのに相変わらず直っていないと多少立腹気味だ。
電話に出た相手にことの経緯を説明しているが、それが長い。
しかもなんだか要領をえない。「あのー」だの「そのー」だのを連発し、話がなかなか先へ進まない。クドクドと同じ話を何度も繰り返し、電話は10分、20分に及ぶ。
相手もさぞかし困惑しているのではなかろうか。80過ぎの老人の長い話につき合わされて。しかもお客が相手なのでいい加減な対応をするわけにもいかない。そういう相手の迷惑にも、親父は気がつかないようだ。
一言でいって頭があまりよくないのだろう。ふだんの母との会話を聞いていても、話がちっとも先に進まず、はたで聞いていてイライラすることがある。かいつまんで説明するということができないのだ。
最後に親父は、顔見知りの営業マンに代わってくれないかと電話の相手に頼む。
家が近所なこともあり、10年以上にわたるつきあいで今の車も含め、もう何台もその営業マンから買っている。
親父は彼に全幅の信頼を寄せているようだ。何かというと電話で彼を呼び出し、車の調子が悪いだのあーだのこーだの、切々と訴えている。
若い営業マンの彼も職業柄なのか、そんな老人の繰り言に辛抱強く付き合っている。営業の見本のような人だ。
勤め人というのはこうであらねばな、と勤め人失格の僕はたまに車の調子を見に来る彼を見るたび思う。親父も実の息子が情けないので、もしかしたらこの営業クンを息子のように思っているのかもしれない。
「え、やめたの?」知り合いの営業クンに代わってくれるよう頼んだ親父は、相手の答えを聞いて拍子抜けしたような声をあげた。
どうやらつい最近、辞表を出したらしい。
最近は車も売れないというし、このコロナ禍で売り上げも落ちてるだろう。
あるいはそれ以外に何か個人的な理由があったのかもしれない。あの優等生の見本のような人でも表には出さないいろんな事情があったのだろう。
「●●クン、やめちゃったか」電話を切った親父はつぶやいた。「じゃ、もうあそこのディーラーへ行く必要はないな。少し遠かったけど●●クンがいたからあそこを利用してたんだけど」
どうやら同じメーカーの、家からもっと近いディーラーに乗り換えるつもりらしい。
親父は今度はそっちのディーラーへ電話をかける。そしてまた車の調子が悪い件について、長々と話をはじめた。「いやー、今まで使ってたディーラーの営業がやめちゃって‥‥」などと新たなストーリーまで付け加えて。
もしかしたら営業クンが仕事をやめたのは、こういうお客を相手にしなきゃならないからじゃないだろうか。