日常ゴーゴー!

取るに足らない日常の記録にただただ徹するブログ。

夕刻の帰宅。

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大腸ポリープ切除で1日だけ入院したので、わずかながら医療保険がおりるとか、

 

去年車を手放したので自動車保険の掛け金が戻ってくるとかの通知が連続して届き、

 

その手続きのためにここ1、2日、病院や銀行をまわっていた。

 

たとえほんのわずかでも臨時収入が入るのはありがたい。愛車と別れたり体の異常が見つかったり、昨年後半あまりいいことがなかったけど少しはむくわれたような気分だ。

 

あとは喫茶店に寄ってPCいじったりとか、ジムに行ったりとか、いつもどおりの近場をまわって過ぎる毎日が続いている。

 

今まではジムでひと泳ぎして出てくると外はもう真っ暗だったけれど、ここ最近はまだ日が高くて明るかったりすることも多い。

 

ずいぶん日が長くなったものだ。考えてみれば3月もあと10日ちょっと。春分の日も目前だ。

 

以前、都内や少し離れた街まで通勤していた頃は、仕事を終えて帰るのはもう夜遅い時間で、夕食も帰宅途中に済ませることが多かった。

 

東日本大震災で仕事が激減したころ、ヒマだったので地元でちょっとしたバイトについた。自宅から車で30分弱の倉庫で、1日の仕事のあとまっすぐ帰れば自宅で夕食がとれる。

 

帰宅途中、車の窓から夕日を見ながら「こんな生活も悪くないかもな」と思ったりした。

 

それまで地元で働くという選択肢はなかったけれど、そのころを境に自宅近くの職場を選ぶようになった。

 

まだ明るいうちに家に帰れるというのはちょっとぜいたくな気分になれる。仕事のあとのプライベートもゆっくり楽しめるような気がする。

 

最近は夕暮れが近づくと家に帰りたくなる。まるでガキンチョに戻ったようだ。

 

もっともいったん帰宅したあと、夜からまたバイトに出るんだけど。

母の精密検査。

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昨年、検査で大腸にポリープが見つかり、年が明けてから一晩だけ入院して切除したが、

 

ほぼ同じ時期にうちの母もやはり大腸の検査で引っかかり、あらためて精密検査を受けることになった。

 

考えてみれば親子で似たような食生活を送っているわけで、同じ臓器が故障するのは当然ちゃ当然かもしれない。

 

で、僕とほぼ入れ替わりで同じ病院をかわるがわる行ったり来たりしてたのだが、

 

どうもその病院では技術的な問題で母の検査がうまくできないらしく、家から少し離れた別の病院を紹介された。

 

僕のポリープはさいわい悪性のものではなかったが、母のほうはただのポリープなのか、それともガンのような始末の悪いものなのだろうか。

 

なんせ80に手が届く年齢なので、こちらとしても心配ではあった。

 

昨日、母を車に乗せて紹介された病院へ行き、くわしく診てもらったところ、

 

どこも悪いところはないという拍子抜けするような結果だった。

 

だったら最初の検査で引っかかった原因はなんだったのだろう。

 

結果しだいではそのまま入院して手術という可能性もあったのだが、その必要もなく病院から車で帰途につく。母は前の晩から食べていないので途中ファミレスに寄り遅い昼食をとった。

 

どこも悪くないと分かってホッとしたのか、母も声や表情が急に元気になった感じだ。やはり自分でも心配だったのだろう。こっちもひと安心だ。

 

しばらく医者通いからは解放されるなあ。

震災もコロナも。

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明日は3月11日。

 

震災からちょうど10年だ。

 

今朝の朝刊は隅から隅まで震災関連の特集記事でいっぱい。

 

以前にも書いたが、10年たったので節目とか一区切りとかいうのは全然ないと思う。とくに被災者の方々にとっては。

 

震災直後、一度だけガレキ除去のボランティアに参加した。あの当時、急にボランティア活動に目覚める人たちに対し、偽善だとかいろいろ批判の声もあったが、何もしないよりよかったのではと思っている。

 

震災がきっかけというわけではないけど、それまでは電車で1時間半かけて通勤していたのが、地元で働くようになった。だいたい車で20分ぐらいの範囲内で。

 

朝食もそこそこに慌ただしく電車に飛び乗るなんてこともなくなった。都内や近隣の都市へ通勤するサラリーマンのみなさんには申しわけないような、のんびりした時間を毎朝過ごしている。

 

これだけコロナが拡大しているのにいまだに感染をまぬがれているのは、きっと満員電車と無縁ということもあるだろう。

 

緊急事態宣言もまた2週間延期になってしまった。こうなったらもうひと月も半月も同じようなもんだ。あとだしジャンケンみたいなやりくちには腹がたつが。

 

まあ、今月からジムが通常営業に戻ったので少しは我慢できるが。

 

公共の図書館はあいかわらず休館がつづくだろう。でも図書館が開いてないとそのぶん家の本に手がつけられるので、積ん読がだいぶ消化できた。悪い面ばかりでもない。

 

3月も中旬に入り、だいぶ暖かくなってきた。深夜バイトから帰宅するのも少しラクだ。

 

つい寄り道したくなって、こないだはわけもなく1時間ほど車を走らせた。店なんかどこもあいてなかったけど。

 

今度こそ緊急事態が解除されたら、いろいろ新たなことにチャレンジしてみよう。そんなエネルギーが少しずつ体の中にたまってきたような気がする。

 

震災もコロナも乗り越えていかなけりゃな。

北千住で名画。

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昨日の土曜は久しぶりに北千住まで出かけ、シネマブルースタジオという映画館で「アギーレ  神の怒り」を観た。

 

北千住にこんな劇場があるなんていままで知らなかった。もう2006年ぐらいからアート系の旧作を中心に上映しているらしい。料金も1000円とリーズナブルだ。

 

むかしの名作を大きなスクリーンで鑑賞できる機会は貴重だ。次回は「アギーレ」と同じヴェルナー・ヘルツォーク監督の「フィツカラルド」が上映される。

 

「アギーレ」の濁流に流されるイカダのシーンもぶったまげたが「フィツカラルド」のジャングルの奥を進む大型客船も大迫力なのでぜひ大画面で観てみたい。

 

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映画のあと、夕暮れがせまる通りを歩く。

 

北千住は子どものころ住んでいた町から近く、当時からわりとにぎやかだったので両親に連れられてよく遊びに来ていた。。

 

そういう意味では地元、というかふるさとのような場所なのだが、なんせ住んでいたのがもうウン十年も前なので今ではすっかり風景も変わり、なんかよそよそしい町になってしまった。

 

いま住んでいる地元から都内へでる際も北千住は通過点にあたるので、時間に余裕があるときは途中下車して街をブラつくこともある。

 

古くからのお店がところどころ残っていて 、昭和の雰囲気がかすかに漂っている。土曜日のせいもあるかもしれないがこの日も人が大勢出ていてにぎわいがあった。昼間から居酒屋の前でおじさんたちが普通に立ち飲みしている。

 

そんな商店街にも最近新しいお店があちこちにオープンしている。若い人がやっているのか造りやインテリアもオシャレな雰囲気だ。かといって敷居が高い感じもない。地元の人が気軽にくつろいでいる雰囲気だ。

 

映画の前に時間調整で入った店もそういう感じで、フランスのヌーベルバーグ映画のポスターで店の壁が埋め尽くされていた。

 

藝大とかもあるからカルチャー好きな若者も多いのだろう。前々から僕は北千住のことをシャレで「東の吉祥寺」と呼んでいたが本当にそんな感じがしてきた。

 

子どものころの思い出もあるし、もし今住んでいる場所を離れるとしたら、次は北千住に住んだみたい。

 

ドキュメント映画「福島は語る」。

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3月11日がまたやってくる。

 

震災から今年でちょうど10年。マスコミもこの時期は震災関連の報道が増えるが、今年はとりわけ目立つような気もする。

 

先月末、とあるドキュメント映画の上映会に参加してきた。映画のタイトルは「福島は語る」。

 

3.11に被災し、原発の事故に遭遇した人々に取材した作品だ。

 

上映時間はなんと5時間20分。それだけでもこの映画の問題提起にかける本気度がわかる。

 

そして、それを見ようと会場の日比谷図書館文化館まで足を運んだ参加者の問題意識の大きさも。

 

上映会のスタートは午前10時半。途中二度、10〜20分ぐらいの休憩をはさんで映画の終了はたしか3時半ごろ。さらにそのあと映画を作った土井敏邦監督のトークライブもある。

 

自分はけして震災や原発事故に対し、強い問題意識があるわけではない。震災直後は津波が押し寄せた海沿いの町へボランティアに行ったがそれ一度きりだし、相変わらず被災地から遠く離れた場所で震災前とそれほど変わらない生活をのほほんと送っている。

 

上映会当日、埼玉から1時間半かけて会場の日比谷まで足を運ぶ。少し遅れてホールに入るともう中は真っ暗でスクリーンでは映像が流れている。

 

作品は被災者が震災への思いを語る姿を正面から淡々と撮り続ける。派手な演出もなく、ひたすら当事者の発言を、表情を撮り続ける。5時間以上にわたる上映時間の大半がそんなインタビュー映像だ。

 

カメラに向かい語った方々は総勢27名。震災で職を失ったひと住むところを失ったひと家族を失ったひと。

 

我が子への放射能の影響をおそれ被災地を離れた若い母親。逆に福島にとどまり続けることを選び、壊れかけた自宅や仮設住宅に住み続ける人々。被災地で作物を作り続ける農業従事者や原発で働いていた労働者。

 

老若男女、さまざまな事情を抱えた人たちが語る話の中で共通していること、それは震災はいまでも終わっていないということだ。

 

あの日からちょうど10年がたつにせよ、けして節目の年などではない。カメラの前で語る人たちにとって、節目などというものはありえないのだ。多くの問題はほとんど解決をみないまま、なのに世の中は急速にあの大災害と事故を忘れつつある。

 

登場する人々は僕たちとなんら変わらない。しかしその言葉は重い。無言の表情が悲しみと怒りを物語っている。

 

当事者がその思いを吐き出せたのは、話の聞き手でもある土井監督の人柄によるところも大きいだろう。映画終了後の約1時間にわたる伊勢真一監督とのトークからも、そんな人となりが伝わってきた。

 

上映会場を出ると日比谷の高層ビル街だ。そういえばこの近くには東電本社のビルがあったことを思い出す。原発への怒りや憎しみの声を集めた作品が、まるで地雷を仕掛けるように東電の足元で上映されたのだ。

 

たしかにあの3月11日以降、何も変わっていない。震災直後、これで世の中が変わるんじゃないかとボランティアなどに動いた僕も、今ではあいかわらずの毎日を送っている。

 

自分の小ささに無力感をおぼえながら、高層ビル群から目を伏せるようにして帰りの地下鉄に乗った。

いやな事件。

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またしても幼い命が犠牲になってしまった。

 

児童虐待というやつも簡単にはなくならないようだ。

 

今回の事件がこれまでとちょっと違うのは、親と子どものあいだに第三者が介入し、間接的に子どもを死なせたのはその第三者の、ママ友だったという点だ。

 

つまりこれはもう虐待死などというものではなくて立派な殺人だ。ママ友が主犯で子どもの母親が実行犯。法的にどう位置づけられるか分からないがそんな風に自分は解釈してしまう。

 

いったいどんな経過をたどり母親は精神的に支配されてしまったのか、言われるままにわが子を死に追いやってしまったのか、今後のくわしい事件の解明が待たれる。

 

それにしても、幼い子どもが犠牲になる前に、この母親本人なりあるいは周囲なりが、喰いものにされ、カネを巻き上げられていることに気づけなかった点が不思議というか、残念だ。

 

カネを騙し取られていたという点ではこの母親もまた被害者で、何とも救いのない事件だ。これまでの虐待死とは異質の、もっと人間の心の深淵を覗きこんだような気分にさせられる。

 

ふつうの虐待死事件では、子どもを死なせた親の側にしても「しつけのため」とか「ちょっと殴ったら打ちどころが悪くて」みたいに言い逃がれできる余地がある(いや、ほんとは言い逃がれなんかきかないけど)。

 

それに引き換え今回の事件は明確な殺意を感じさせる。殺すつもりはなかったと母親とママ友は主張するだろうが、食べものを与えなければ死んでしまうぐらいのことは普通、わかるはずだ。

 

そしてその動機となっているのは金だ。金欲しさのために善意を装い相手をマインドコントロールする。こんなに後味の悪い事件は自分としては初めてだ。

 

しかもこの事件の背景には、いま社会が抱えるさまざまな問題が見え隠れする。シングルマザーの貧困、相談できる他者が身近にいない孤立、カネがすべての拝金主義‥‥。

 

事件の詳細が明らかになるにつれ、それら現代が抱える諸問題にも光が当てられるに違いない。

 

そんな世の中を動かしているのはこの僕たちだ。もしかしたらあの子が死んだのは僕たち一人一人にも責任があるかもしれないと気づき、愕然とするかもしれない。

 

ほんとに、自分の住んでる地元だったら取材したいぐらいの事件だ‥‥。

 

 

映画「すばらしき世界」感想(若干ネタばれあり)

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昨日の映画サービスデーに観たかったのですが夜からバイトだったので、

 

1日ずらして今日の休みに観にいきました。やっぱりバイトがあるとじっくり落ち着いて観れないからね。

 

以下、多少ネタばれありますのでご注意。観てからあまり時間がたってないので、ざっくばらんな第一印象です。

 

「すばらしき世界」は長年刑務所に服役していた役所広司演じる元ヤクザが、出所して第2の人生をやり直そうとする物語です。

 

主人公をとりまく現実の壁は厳しいですが、反面彼のまわりは比較的心あたたかな人たちばかりです。彼を取材してドキュメンタリー番組を作ろうとするディレクターや身元引受け人の弁護士、役所の生活保護の担当者、近所のスーパーの店長など。

 

同じヤクザの世界をテーマにした「ヤクザと家族」もいまヒットしてますが、あちらの暴力的なタッチとはまた違うヒューマンな雰囲気です。

 

とはいえ荒っぽい場面がまったくないわけではなくて、ふだんはおとなしく気が弱そうな主人公が突如豹変するさまは怖ろしい。

 

この映画における役所広司の演技と存在感は特筆ものです。

 

にしても、シャバに出てまじめになろうとしてるはずの主人公が突然キレまくり暴れまくるのはやや不自然な感じもないではないです。本当にこのひと刑務所で更生したんだろうか。まあカッとなりやすい瞬間湯沸かし器みたいな性格だということで説明はつきそうですが。

 

話の中心は主人公をネタに番組を作ろうとするディレクターとの関係かと思われますが、それ以外にもさまざまな人との交流があり、全体にエピソードがとっ散らかってるような感じがないでもないです。話の主眼をディレクターとの番組づくりに徹して、他のエピソードは軽く添え物程度でもよかったんじゃないかと。

 

あとまあ細かいことを言えば、アパートの下の部屋の住人と大ゲンカになって、その後はどうなったんだろうとか、ディレクターと女性プロデューサーは恋人同士らしいがそれも尻切れトンボだし。

 

女性プロデューサーは長澤まさみが演じていますがいてもいなくてもいいような役どころでしたねー(失礼)。

 

「ヤクザと家族」とこの作品とでは、自分は「ヤクザ」のほうをとりますが、これは好みしだいかもしれません。暴力タッチが好きか、ほのぼの系が好きか。

 

いろいろあげつらってしまいましたがけして悪い作品ではないです。前評判が高いのでつい期待し過ぎてしまったんですね。

 

ハートウォーミング系が好きな方にはオススメかと。役所広司を見るだけでもソンはないと思います。